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2004年 05月 11日
定期購読している「正論」の中に『主婦の眼 ママの声』というお気に入りのコラムがある。
毎回主婦の視点で、教育のこと、社会のことを勝手気ままに書いている。 今月は「母親の日常から子供が学ぶもの」というお題。 まず毎日の家事の愚痴から入る。(^_^;; >毎日、家事をしていると、うんざりしてくる事があった。 >食事を作っては、食べ、片付け、また作り…。 >「まるで、波打ち際に作っている砂のお城だ。 >別にやってもやらなくてもいいんじゃあない?」 と、正直に告白する。さらに >主婦なら家事をきちんとやって当たり前。 >でも、その「当たり前」をこんな時代に一体誰が評価してくれるというのだろう。 >専業主婦バッシングが横行し、「家事なんて自己満足にすぎない」 >というフェミニストの言葉にも傷ついていた。 と続ける。ところがある事件をきっかけに彼女の価値観が一変する。 きっかけは2歳の娘さんだった。 ちょっと長いがそのまま引用させて頂く。 >娘はある日、なにやら一人遊びに熱中していた。 >その様子をみると、私が日頃、子供のために作っていた >ジュース作りの過程を、そっくりそのまま真似をしていた。 >おもちゃの人参とりんごをまな板で切って、円錐に丸めた新聞紙の中へ放り込み、 >ガラガラ回してジャーと、コップに注いで「はい、出来上がり」と満足げだった。 >もし、私がプルトップを引っ張るだけの缶ジュースを >子供に渡していたならどうだろう。 >子供は、やはりそれを真似して、同じような手つきで、 >プルトップをあけるだけで、そのおままごと遊びは終わってしまうのだろう。 >私がやっていた家事を子供は、実によく見ている。 >子供はそれを、自分の遊びの中に取り入れて、 >複雑な手順も覚えて模倣しているのだ。私の手作りジュースは、 >子供の体の栄養となっていただけではなく、子供の遊ぴを複雑化させ、 >心の栄養にもなっていたのだ。 うちの子は男子なので母親でなく、私のまねをよくする。 出張サポート用の書類を作っているのを見て、いらなくなった書類に 自分の住所、氏名、電話番号を書いて、遊んでいる。 「御中」という漢字がまだ書けないので 「おんちゅう」とひらがなで書いていたのには笑った。 それはさておき。 結論は、以下のこと。 >料理を作る過程が複雑であればあるほど、 >子供の模倣遊びも複雑になって、面白い。 >もし、母親の料理がいつもレンジでチンするだけなら、子供のおままごとも、 >切る、煮る、焼く、盛り付けるの過程がすっ飛んで、 >「はい、チーン」で終わってしまう。そこに、遊びの多様性や複雑さは期待できない。 >そう思うと、料理だけではなく、子供の「ごっこ遊びをしよう」 >とする意欲を駆り立てる母親の仕事はいくらでもある。 >洗濯物を干す、取り込む、たたむ、アイロンをあてる。掃除機をかける。 >床をふく、ほうきで掃く。障子のさんをふく、障子の破れを直す、 >庭を掃く、雑草を抜く、花の苗を植える、水を撒く、窓をふく…。 >それらの家の中での仕事を模倣することで、何の見返りも期待せず、 >ただ「家族の為に」という無償の愛を子供 >は母親から学ぶ。何も大げさな事ではなく、母親の日常とは、 >そういうものなのだと、気付いた時、 >それまで無意味だと思っていた家事の諸々が、価値のあることに思えた。 >手抜きをしようと思えば、いくらでも簡単に済ませられる家事を、 >あえて丁寧に手をかけてやってみる。そんな日常の暮らしの中にこそ、 >子供に伝えることができる心の豊かさがあるんじゃないか。 私は家にいる時間が圧倒的に長いので、主婦の仕事がいかに大変で 見返りの少ない、シンドイ仕事であるかということを 普通のおとうさんよりはわかっているつもりでいる。 終わりがなく、お金がもらえるわけでもなく、誰も見ていない仕事。 もし、主婦の仕事というものに理解が少ないご主人には「正論」6月号のpp.174-175 を図書館でコピーしてテーブルの上にでも置いておいたらいかがでしょう?!(笑) ◎本日のウォーキング:7238歩(4.34km)
by edge4753
| 2004-05-11 21:18
| 教育
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